よしなしごと

こころに浮かんだよしなしごとを何となく書き散らかします。

10月 17

文春文庫: 三国志 第七巻: 宮城谷昌光

文春文庫の宮城谷昌光の三国志第七巻を読了した.

今巻は劉備が孫権の妹を正室として迎える場面から, 蜀を制圧する場面ほどまで書かれていた.

向後, 桃園の誓いを果たした義兄弟三人が相次いで亡くなり, 劉備が治めていた荊州は呉に飲み込まれ, 諸葛亮をはじめとする蜀に残された遺臣と, 曹操が病没した後の国王である曹丕が束ねる粒ぞろいの魏の臣下と漢中を奪い合う, という張りつめた展開を知っている私は, その兆しを見逃すまいと身構えて読むことになった.

宮城谷昌光の書く歴史小説には他の作家では省略してしまうような, 歴史的雑学がふんだんに盛り込まれている. これは読者に馴染みのない史書の中の世界の音, 光, 香り, 肌触り, 味わいをリアルに容易に感じさせる工夫であろう.

また, 史書は時に沈黙してしまうことがある. そこでは, 中国史, 中国文化を長年観察, 研究してきた豊富な知識を用いて, 飛躍のない現実的な推測を加えている. 

そうして, 一般の三国志演義に見られるような伝説をなるべく避け, 司書に忠実に, リアリティに重点を置いた結果, 作中の登場人物の足が地に着き, 人間臭い愛着のあるものになる.

宮城谷昌光が描こうとしているのは, 決して大昔の中国の伝説ではない.

現在も普遍的に存在する, 人の心の動き, 人の関わり方である.

一読すると蘊蓄が多い, 他の三国志と比べて盛り上がりに欠ける作品のようだが, 一旦三国志というくくりを取り除いて読んでみると, 栄達と零落, 生と死に翻弄される登場人物一人一人にドラマがある.

私はそこに魅力を感じるのだ.

第八巻は来年の10月に発売予定であるが, 待ち遠しく感じる.


10月 10
quantumaniac:

Conversation. 

quantumaniac:

Conversation. 



9月 29

2011年度上半期の反省と下半期の目標

2011年度上半期は勉学の面では充実感があった.

ただ, 年度始めに考えていたものより分量的には半分ほどしかできていない. 思った以上に大変だったのだ.

もう少しできたのではないか, こう思えばきりがないのだが, 実際もう少し頑張って, 下半期の負担を減らせることができなかったのは非常に残念だ.

したがって, 下半期は上半期よりも相当忙しくなる予定である. ここで踏ん張れるかどうかが私の後の数年を大きく左右すると思う. 下半期は上半期以上に気合いを入れて, 効率よく計画を進めていくことを目標とする.

一方, 人付き合いの面では, 大学の仲間とは非常に密なコミュニケーションをとれたと思う. これは思わぬ効果を勉学に与えてくれた. このように大学での友人関係の深化は, 私が今までできなかった, 大学に行くことと, 友人に会うことが相乗効果的なサイクルを起こした結果であろう. これは続けていきたい.

しかし, 家族との関係はかなり悪くなってしまった. これの原因は明らかだ. 今までのつけが今年度上半期にのしかかってきたのだ. また, 私は表面上では家族にとっていい子であり続けたかったのだろう. しかし結局はそれさえも関係の悪化の一つの原因となってしまった. これは当然であろう. 実際いい子でも何でもない者が外見だけいい子に取り繕うなんて, その本質を見た人にとっては気分を害すものでしかないのだ. 

とくに解決策は考えていないが, これは時間が解決してくれるのではないか. 早急に解決する必要のない問題だと考えている.

下半期の目標で最も重視したいところは, 忙しさに負けないことである. 非常に忙しくなることが予測されるが, そこで挫折してしまったら大望が果たせなくなってしまう. 忙しさに負けないためには先に書いたように効率を重視しなければならない. 特に新しいことを始める訳ではないので, 効率化は十分に現実的である. 常に効率を意識してタスクに取り組みたい.

上半期はかつてないほどに実りの多いシーズンにしたいと思う.


9月 5

google検索

Googleで知り合い人の名前を検索してみる。
あ、こいつ今こんなことしてるんだな。あ、こいつブログやってる!…とか。

僕の時間はしばらく止まっているが、彼らはこの社会の中で、いろんなことに挑戦し、悩み、成功し、挫折しているのが見える。

僕も頑張らなきゃな。


5月 7

わんわん

今日の昼食後、ソファに腰掛けて歯磨きをしていたら、愛犬のうちの一匹が膝の横に座って 「おい、構えよ」 と私のももを引っ掻いてくる。

可愛すぎ、反則だろ。


4月 24

量子力学と私

朝永振一郎の量子力学と私を読んだ。

私自身大学で物理を勉強しているが、量子力学というのは我々の生活しているこの世界と法則を異にしているので、イメージがつかみきれない、というのが正直のところだ。

量子力学は線形代数を多分に使い、演算子の固有値の集合が物理量として観測され、また、波動方程式の解が運動の状態を決定する。物理量が確定値を持つこともあるが、基本的には物理量は確率として得られる。

このような、素人さんが読めばちんぷんかんぷんな話を量子力学は語る。

さて、この本を読んで、全てがしっくりいったかと言われるとそうではないのだが、量子力学の数学的手法や、各々の異なった状態の関連に関して、なるほどそうだったのかと、合点がいくくことが多くあった。

朝永は「我々のイメージを超えた世界だからこそ、数学的にならざるを得ない」と本書で書いている。なるほどそうである。古典物理学は運動を観察し、そのイメージを数式にするという印象があるが、量子力学は実験結果にあうように作られた数学に解釈を与えるという印象を得た。

だからこそ、多くの物理学者が苦労したのだろう。

話は変わって、岩波文庫の量子力学と私には朝永のドイツ留学中の日記が収録されている。仁科に天才と言わしめた朝永でさえ、己の凡庸さ、劣等感に苦しむ姿がリアルに書かれている。

しかし、彼は苦境にありながら、努力することを怠らず、そこで培ってきた経験、知識、感性をもってして、くりこみ理論を築き上げ、ついにはノーベル賞受賞という、栄誉を戴いたのだ。

ファインマンはノーベル賞を迷惑がったが、朝永が莞爾として受賞したのは、この劣等感(同期の湯川はノーベル賞を受賞している)があったからではないだろうか。

このことは、我々に希望を与え、また、このような努力、苦悩なしには高みには到達できないという戒めを与えている。


2月 7

電車に乗ってたらね

隣に中学生くらいの男子と女子が立ってたですよ。

なんか憎まれ口をたたきあっていたわけですよ。

で、仲がいいのう、とほのぼのしてたら電車が揺れて、

女の子のほうがバランス崩した。

あわてて男の子が支えてあげたんだけど、

どっか触ってはいけないところを触ってしまったらしく。

「ごめん」「うん」って言い合ってそのあと二人は無言でした

甘酸っぱいの禁止。

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2009-03-19 (via gkojay) (via pdl2h) (via neknee) (via gkojax) 2009-11-13 (via gkojay) (via hm7) (via vmconverter) (via fukumatsu) (via hoory) (via tra249) (via gakkie) (via toshied) (via do-nothing) (via interglacial)

“246 名無し草 2008/10/19(日) 14:39:11
日本で拡張子にまで上り詰めた都市は岐阜だけ”
すべらない名無し | 岐阜の自負
2009-06-01 (via yuria) (via fukumatsu) (via gakkie) (via bon555) (via katsuma) (via mtsuyugu) (via oosawatechnica, utatane) 2010-01-27 (via gkojay) (via metalbaka) (via plasticdreams) (via appbank)

確かに…


2月 6

マグカップ

7年間以上使っていたマグカップが欠けていたのに今朝気付いた。当時付き合っていた彼女から貰ったもので、別れた後も何となく使い続けていたのだが、やはり長年使っていたので愛着があり、何とも言えず残念で、むなしい気持ちになった。 さようなら、今までありがとう。


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